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「おら写真撮るだ」〜東ティモールへ続く道〜

更新: / 公開: 2016年4月16日 / 執筆:

勉強もできない、だからといって体育の時間も駄目。
僕は小学生時代何も出来ない。と勝手に思い込んでいた。

自転車にもなかなか乗れず、「おーい広田走れ」(25歳位まで広田だった、祖父の養子に入り直井になった)なんて言われ、皆の後を走って追っかけていた。早生まれを良い事にいつもそれを言い訳にしていた。

そんな僕は小学校5年生の時に母親に「お母さん、僕きっと結婚出来ないよ」なんて言った、今思うと笑ってしまう。

しかし、同時に自分は特別な存在だ、きっと僕は世界を救うスーパーマンなんだなんて思っていた。実は複雑だったのだ。

明るいが、劣等感のかたまりの様な子供だった。

そんな僕は、自分にも出来る事はしよう、じゃないと結婚も出来ない。せめて女の子には優しくしようなんて思っていたと言いた。しかし、女の子と恥ずかしくて話しも出来ない、見る事も出来なかった(大学一年生位まで続いた)

そんな僕は社会人になっても出来る方ではないから、挨拶や返事だけはしっかりしよう、出来る事は率先してやろうなんて思っていた。

そんな時、たまたま団体写真を撮る部署に配属された。

その時の上司に僕は似ていて、唇が分厚く、モーガンフリーマンみたいな顔をしていた。お客さんによく親子ですか?なんて聞かれた。

その上司がお客さんがいようが何だろうが、そっちのけで僕に写真の話しをしてくれた。

「いいかい、君、写真は簡単なんだ、絞りとシャッタースピードを調整して光の量を計算して撮るんだ」それだけだ。

僕は写真が段々好きになり、骨董品屋さんでペンタックスの50年位前の古い一眼レフを購入した。それで毎日の様に寮の屋上に上り三脚を使いスローシャッターで星、空、車が通り過ぎるのを撮っていた。

15分位シャッターを開けて、星の写真を撮った時、自分にもこんな奇麗な写真が撮れるのだと自信が湧いた。

 

続く。


コラムニストのプロフィール :

東ティモール独立に立ち会い写真を始める。 その後もフィリピン、ネパール等で撮影を続け、写真を通して、資源をめぐる紛争やグローバル化の中で起きる格差の問題など、社会の影を訴えつつ、奪われることのない人々の持つパワーや力あふれる姿、残り続ける文化や暮らしをフィルムに収めている。9年前に名古屋から信州に移住。3児の父。


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