「おら写真撮るだ」〜東ティモールへ続く道〜
勉強もできない、だからといって体育の時間も駄目。
僕は小学生時代何も出来ない。と勝手に思い込んでいた。
自転車にもなかなか乗れず、「おーい広田走れ」(25歳位まで広田だった、祖父の養子に入り直井になった)なんて言われ、皆の後を走って追っかけていた。早生まれを良い事にいつもそれを言い訳にしていた。
そんな僕は小学校5年生の時に母親に「お母さん、僕きっと結婚出来ないよ」なんて言った、今思うと笑ってしまう。
しかし、同時に自分は特別な存在だ、きっと僕は世界を救うスーパーマンなんだなんて思っていた。実は複雑だったのだ。
明るいが、劣等感のかたまりの様な子供だった。
そんな僕は、自分にも出来る事はしよう、じゃないと結婚も出来ない。せめて女の子には優しくしようなんて思っていたと言いた。しかし、女の子と恥ずかしくて話しも出来ない、見る事も出来なかった(大学一年生位まで続いた)
そんな僕は社会人になっても出来る方ではないから、挨拶や返事だけはしっかりしよう、出来る事は率先してやろうなんて思っていた。
そんな時、たまたま団体写真を撮る部署に配属された。
その時の上司に僕は似ていて、唇が分厚く、モーガンフリーマンみたいな顔をしていた。お客さんによく親子ですか?なんて聞かれた。
その上司がお客さんがいようが何だろうが、そっちのけで僕に写真の話しをしてくれた。
「いいかい、君、写真は簡単なんだ、絞りとシャッタースピードを調整して光の量を計算して撮るんだ」それだけだ。
僕は写真が段々好きになり、骨董品屋さんでペンタックスの50年位前の古い一眼レフを購入した。それで毎日の様に寮の屋上に上り三脚を使いスローシャッターで星、空、車が通り過ぎるのを撮っていた。
15分位シャッターを開けて、星の写真を撮った時、自分にもこんな奇麗な写真が撮れるのだと自信が湧いた。
続く。