トップ >

【リラクオーレ通信】「声とピアノとアニメーションの三重奏『いつか見る景色』」出演の佐久間レイさん、佐田詠夢さん、宇井孝司さんへのインタビュー

更新: / 公開: 2013年5月31日 ( ※ 古い情報です ) / 文責:

4月14日(日)、長野県上田市の上田城千本桜まつりにて、10周年記念イベント「アーティスト夜桜スペシャルライブ」が開催され、声優の佐久間レイさん、ピアニストの佐田詠夢さん、映像監督の宇井孝司さんの3人による「声とピアノとアニメーションの三重奏『いつか見る景色』」が上演されました。

「声とピアノとアニメーションの三重奏『いつか見る景色』」上演の様子はコチラ

その上演に先立ち、準備に忙しい時間の合間を調整していただき、楽屋におじゃまをして、出演の皆さんにインタビューさせていただきました。

物語の世界を広げたオリジナルのピアノ曲

── 今日は、お忙しいところ、ありがとうございます。最初に、このユニットのきっかけは?

佐久間レイさん(以下、佐久間)
私が自分のコンサートで語りをやっていたのですが、それを観た詠夢ちゃんが一緒にやろうと言ってくれて、脚本に曲をつけてくれたんです。
佐田詠夢さん(以下、詠夢)
そう、それで、私と兄(TSUKEMENの佐田大陸さん)が一緒にやっているコンサートに、ゲストとしてレイさんに来ていただいたんです。
佐久間
そうそう、最初はちょっと出るだけの予定だったのに、長々と語りをやらせていただきました。若いお二人が素敵な音楽をつけてくれたんですよ。

── 佐久間さんの語りを観て、感じるものがあったんですね。

詠夢
そうですね。何回かライブに行かせてもらっているうちに、「この素敵な世界をいろいろな人に聞いてもらいたい、広めていきたい」って思ったんです。
佐久間
それを聞いて、とてもうれしかった。私も、この公演は、芸能活動ということではなくて、誰かの経験や想いを、私を経由して観る人に届ける、私はストローみたいな役だと思っています。そのために物語を書き、語っているという感覚がすごく強いんです。それを詠夢ちゃんがポンッとキャッチして、同じ想いを持ってくれて、「広める形を考えよう!」っていうことでスタートしました。
詠夢
そう、何か義務感というか、「これは広げなくちゃダメだ」みたいな不思議な感覚でしたね。
佐久間
詠夢ちゃんは、本当に実力のあるピアニストなんですよ。そんな方が語りのピアノを弾いてくれるって言うので、最初、私はビックリだったんです。なんだか、もったいないような気がしました。でも、そのテクニックを持った詠夢ちゃんが弾いてくれたからこそ、お話の世界が広がりましたね

── 詠夢さんは、クラシックの演奏者として活躍されているわけですが、今回はオリジナル曲をお作りになっていますよね。

詠夢
そうなんですが、実は! 私、今回、初めて曲を書いたんですよ!! 大きなチャレンジでしたが、最初から「私が書くんだ!」という、根拠はないけど何か謎の信念みたいなものがあったんです。何となく自然にそういう方向に導かれていったような感覚でしたね。
佐久間
「曲はすぐに作ります」って言うから、私、てっきり、詠夢ちゃんは曲を書き慣れていると思ったんです。だから、安心していいわよね、って聞いたら、「今まで作ったことはないです!」ってキッパリ言われちゃいました(笑)。
詠夢
クラシックはクラシックで一つの私の世界ではあるんですが、レイさんとご一緒させていただいたときに、「私のもう一つの居場所はここだな~」って思ったんです。
佐久間
クラシックで磨いた技術があって、一方で、語りとピアノを聴いたママさんたちの涙や、和が子を抱きしめる姿を見て感じるものがあって、その受け止めが、クラシックの演奏にも反映されて、より深い演奏になるような気がしますね。

── 曲をつけるにあたって、暗い雰囲気のときには、少し明るめにしたり、その逆もあったりしたということですが……。

詠夢
そうです。最初に台本をいただいて読んだときに、セリフに隠されている心情、つまり、言葉はこう言っているけど、心はどうなんだろう、なんてことを考えたんです。すると、例えば、口では元気そうに言ってるけど、心は深く悲しんでいたら、そういう音楽になりますよね。

──「悲しいよ」という言葉を直接、投げ掛けられるよりも、違う言葉の裏に悲しい気持ちを想像したときに、観た人は、それをより実感として感じるように思います。その実感が心に響いたときに涙という形になるんでしょうね。

語りと音楽と映像が個性を出し合う三位一体の世界

佐久間
音楽が加わることで広がった世界を、さらに、ヒョイッと広げてくださったのが宇井監督なんですが、これもまた、ビックリの出会いだったんです。最初は、さだまさしさんのコンサートでしたね。
宇井孝司監督(以下、宇井)
そうそうそう。たまたま席が隣だったんだよね。ずっとアニメーションの仕事はしていたけど、なかなかレイさんと一緒になる機会はなかったんです。
詠夢
宇井監督とお話しさせていただいているうちに、同じ世界観をお持ちだなと感じて、ぜひご一緒にと思ったんです。

── 監督の最近の作品は、『葉っぱのフレディいのちの旅』や『ワイルドバード・シンフォニー』ですよね

宇井
そうそう、地味なのばかり作ってます(笑)。

── いえいえ、監督の作品は、珠玉の存在であるにも関わらず、なかなか一般的には知られていない人を取り上げて、そこに光を当てていくという一貫したものがありますよね。

宇井
そうですねー。私は、萌~!系もできないし(笑)、ロボットものもできないので、自分が美しいな! と思うものを描いてます。

── それは、手塚治虫先生とお仕事をされた監督が、先生の思いを受け継いでいるということですか?

宇井
あんな、すごい人を受け継ぐなんて、とてもできないんですけど、やっぱり、先生の姿勢は自分の中に、すごくあるし、今、こうしているのも先生のお陰だと思っています。
佐久間
この3人に共通しているのは、自分がいいなと思うものを一生懸命にやるタイプだよね。今、何が流行っているかとか、どうすれば気に入ってもらえるかなんていうことよりも、自分が美しいと思うものや好きなものに突き進んでいくというところが似ていますよね。

── そうなんですね。

佐久間
でもでも、今回、映像とコラボするって聞いたとき、正直、最初は戸惑ったんです。物語が、決して可愛らしいとか、楽しいとかではないし、いったいどんな映像にするんだろうって。アニメにしてアフレコするのかな~とか、すごい不思議だったんです。
宇井
だから、最初、心配してメールをくれたよね。
佐久間
主人公の顔が萌系だったら嫌だなとかね(笑)。で、私が監督に唯一お願いしたのは、よく絵本を読んでいると、人の心の中で、その絵本の絵が、ちょっと動く、例えば、木の枝が揺れたり、風が吹いたりとか、そういうニュアンスが好きだって言ったら、「大丈夫、それは分かってる」って、おっしゃったんです。
宇井
絵を作るときに一番に気にしたのは、光を物語から感じてもらえるようにしたかったということ。光は、嫌なものもあからさまにするけれども、美しく包むこともできるということを描ければと……
佐久間
それで、出来上がりを見せていただいたときには、「こう来ましたか」っていう感じで納得したんです。何かゾクッとしましたね。
宇井:もともと、レイさんと詠夢さんの間で世界ができているので、映像は、言ってみれば余計なものかもしれないんですね。そこで、映像ですべてを表現してしまうのではなく、観ている人が物語を自分の中に取り込むときの足がかり、頭の中のちょっとした触媒になれればいいなという感覚で作りました。
佐久間
セリフって、全部を説明するように話すわけではないので、時にはわかりにくい表現もあるし、聞き逃しちゃうこともありますよね。でも、そこに音楽や映像が加わると、意味が無理なくスッと入ってくるんですよね。
宇井
ただ、分かりやすい絵ではないですよ。アヴァンギャルドです。

── あまりストレートな映像だと感じ方が限定されちゃうので、観ている人の印象にまかせられるほうがいいですよね。

詠夢
家で練習していて、ピアノを弾いていると、そこの映像が頭に浮かんで、その部分のセリフを思わず言っていたりするほど融合してるんですよ。
佐久間
自分の作った作品ではあるんですが、今や、音楽と映像が加わって成長しているように思います。

── ただ朗読にピアノの伴奏がついた、ただ朗読のバッグに絵が映されているというものではなく、語りとピアノと映像が、それぞれに個性を出し合って、立体的になって世界を創出している、まさに三位一体の世界ですね。

佐久間
そうそう、三つ巴。
宇井
キングギドラだね(笑)。

心の再生の物語。そして希望

佐久間
実は、公演を観た方が誰かに、内容を要約して、こういう話だって表面的に伝えていただきたくはないんですよ。
詠夢
そうそう、どんな話なんですか? って聞かれるのが、いちばん困るよね。
佐久間
お話の内容は、私が関わってきた方々の実話に基づいたものもありますし、私が感じてきたことや誰かの思いを混ぜ合わせて熟成させたみたいな感じです。家族を亡くされた方と関わる機会があったり、震災の後に被災地に行って話をした方々の言葉とか、大好きな先輩にいただいた言葉であったり。それらがヒントになっています。一言で言えば心の再生の物語。人が、本当の意味での絶望・喪失を味わったときに、それでも希望を持ち続けられた理由、こうして今も命が続いてきた理由を考えてみたんです。
宇井
『たれぱんだ』をやったときもそうだったんだけど、今、癒しという言葉が簡単に使われすぎている気がするんです。癒しとリラクゼーションは違うと思っていて、本当につらいとか嫌だとか、ネガティブに自分を苛むとかいうことがあったときに、それを乗り越えるためのものが癒しであって、そこには強さも感じます。何かフワッとしたものではないような気がするんです。そういう意味では、この物語は癒しの物語だと思います。
佐久間
観終わったときに、皆さん、それぞれご自身の人生を愛おしく思ってもらえればいいなと思います。老若男女、すべての方に観ていただきたいですね。でも、小さなお子さんは無理かな?
宇井
いや、そんなことないかもよ。
詠夢
そうそう、前、公演の後に小学生の男の子から「台本は売っていないんですか?」って聞かれたことがあったんです。「気に入ったの? この話」って聞いたら、「はい、もう一度、ちゃんと読みたいんです」って。
宇井
だから、ロジックで理解する必要はなくて、感じればいいと思う。子どもも何か感じるんじゃないかな。桜見て、お酒飲んで、酔っ払ったおじさんも、観たら涙するかもしれないよ(笑)。
佐久間
こんなメッセージをいただいたこともあります「生きることがしんどくなっていたときに、知人に誘われ、仕方なく観にいった公演だったけど、自分の最後に見える景色を見てみたくなりました」って。さらに、「たとえ、どんな人生であっても、一生懸命に生きたことを自分は一番よく知っている、その最後に見る景色は素晴らしいはずですよね」って言ってくださいました。それを聞いて、“伝わったんだなあ”といううれしさと、反面、責任も感じましたね。
宇井
そんなことがお客様に伝わって、もう1回観たいとか、誰かに勧めたいとか思ってもらえたらいいですね。
詠夢
皆さんに広めたいですね。
佐久間
そうそう拡散希望です。
宇井
でも、拡散だと薄まっちゃう感じがするから、そうだな~、ビッグバンで行きましょう(笑)。
詠夢
目指せキャッツ! ロングラン公演!(笑)

一瞬一瞬の大切さを感じる

── リラクオーレとは「心の休息」というような意味で、ちょっと、ひと休みすることで、今までと違った価値観が見えてくるのではないかという思いがあるんですが、東日本大震災があったりして、何か価値観の変化なんてありましたか?

宇井
僕は去年からピーズボートという船に乗っているんですけど、いちばん思うのは、「いつでも希望はあるんだ」ということ。震災があったことで、希望を、より明確に意識するようになっている気がします。逆に言えば、特に若い人たちが、すごい絶望的ではないということ。災害が悲惨すぎて、そんな甘いものではないと怒られるかもしれないけど、前に向かって行ければいいなと思っています。
佐久間
私は、前から瞬間瞬間の大事さを考えていて、カシャって、今、現在を写真に撮れば、何でもないことが、なんと愛おしい瞬間なんだろうって感じると思うんです。震災を経験して、それを、より一層強く感じています。「あって当然」と思っていたものがなくなって初めて、「あった」と意識できる、空気と同じで、真空になって初めて、その存在に気付くみたいな、あるいは、煙が充満して初めて新鮮な空気のありがたみを知るみたいなね。

── よく分かります。

佐久間:
それと、人生って短いですよね、しかも、明日、終わるかも知れない、そう思うと、落ちこんでいることのもったいなさに気付いちゃったんです。どうせ、下を向いて悩んでも解決しないのなら、下を向いたついでにゴミでも拾って(笑)次の行動に移るほうが素敵! 自分が動けば必ず何かのリアクションがあるはず。今回のように仲間とも出会って、有意義な活動ができるんですもの。
詠夢
私も同感ですね。大学のときは、なんとな~く授業受けて、なんとな~く練習して、なんとな~く友達とご飯食べていたんですが、震災を知って、ふと、これってズーッとは続かないんだよなって思って、生き方を考え始めましたね。今、経験している一つ一つのことを、しっかりと感じて大切にしようと思ってます。年齢を考えたら親と過ごす時間も貴重に感じられるんです。佐久間さんのおっしゃる、一瞬一瞬の大切さに私も気付きましたね。
佐久間
生き方が優しくなったかもしれないね。それと、もう一つ、すべてのことに対して、自分が問われているということも身に染みました。世の中で起きる、いろいろなことに対して、他人事ではなく、あなたは、どう考え、どう行動しますかが問われているということを知らされた気がします。

── 佐久間さんは、ここ数年、昭和の歌と語りでつづる「癒しの音楽温泉ライブ」を定期的に開催しておられるそうですね。

佐久間
はい、私は温泉の女将「お湯はないけど、心の芯まで温まる音楽温泉。」がモットーです!今日は出張温泉させていただきます。よろしく。

── ありがとうございます。今後の皆さんのご活躍をお祈りいたします。