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【リラクオーレ通信】東日本大震災 及び 長野県北部地震から1年にあたって

更新: / 公開: 2012年3月11日 ( ※ 古い情報です ) / 文責:

震災から1年です。
改めて、亡くなられた方を悼み、被災された皆様にお見舞いを申し上げます。

もう1年、そして、まだ1年、ありきたりな言葉では言い表せない月日を過ごしてこられたことでしょう。悲しみ、とまどい、怒り、迷い、希望、感謝、さまざまな想いが交錯した1年間だったことと思います。

そして、明日に向けた確かな一歩を踏み出しておられることと思われます。でも、その道のりは決して平坦ではないことでしょう。

私たちも、一日も早い復旧復興をお祈りして被災地の皆様に寄り添い、小さくとも継続的なご支援をさせていただきながら、自分たちと日本の今後について考えていきたいと思います。


“心の休息”、これまでの歩みをちょっと止めることで見えてくるものがあるのでは……という思いで始めたリラクオーレでしたが、残念ながら昨年の3月11日、現実にその歩みを止める出来事が起こってしまいました。私たちの慢心と奢りに警鐘を鳴らした震災であったとするにしては、その代償はあまりにも大きく過酷だと思います。

大切なご家族を亡くされた皆様の悲しみと絶望は計り知れないと思います。また、被災された方の復興の道は辛く険しいことでしょう。
ただ、皆様の力を信じ、明日への希望を語るのであれば、津波ですべてが流され、それがたとえ0からのスタートだとしても、そこに一つ一つ積み重ねていくことで、先に進むことができるはずであり、また、それを願っています。
しかし、本来、順調に進むはずの復興が滞っているとしたら、それは明らかに社会的仕組みと組織の問題にほかならず、その障壁の撤廃は人為的に速やかに行われるべきでしょう。

そして、その障壁の最大かつ甚大なものが原発事故による放射能汚染です。福島第一原発周辺の町は、0からのスタートもできず、復興どころか立ち入ることすらできません。
先日、上空からの撮影で映し出された、その街並は、生活の跡を残しながらも一人の人影もなく、時が止まって見えました。当時の鉢呂経産相が「死の町」発言で辞任しましたが、でも、誰もいなくなった町を見た正直な感想だったように思い、それほどまでにしてしまった東電や国の責任の重大さを指摘していたように思えます。それまで、ごく普通の生活を、ごく当たり前に過ごしていた、そのささやかでも幸せな毎日が突然に奪われる、その理不尽さは尋常ではありません。

私たちは、生活の安定のために、原発という猛獣、いや怪物を飼っているのだと思います。一度、逃げ出せば取り返しのつかない……。どんな防御を施したとしても、想定外は存在します。飛行機が落ちるかもしれない、テロリストが来るかもしれない、北朝鮮がミサイルを打つかもしれない、そう、宇宙人が攻撃してくるかもしれない(その方が大事件ですが)、その恐れがあるのであれば、怪物を飼うことは危険です。
原発事故を想定した避難訓練があります。でも、絶対に安全であれば、避難訓練の必要はないはずです。少しでも事故の可能性があるのであれば稼動すべきではありません。

原発を巡る論議が盛んですが、その答えは決まっているように思います。そう、菅さんの言った「脱原発」です(この発言は良かった!)。死と隣り合わせなだけでなく、気の遠くなるような放射能廃棄物を無尽蔵に出し続け、後世の人々と地球にその負担を負わせる、そんなものを作るのは根本的に間違ってはいないでしょうか。
危険な原発と安全な発電、どちらがいいですか? と問われれば、それは誰しも間違いなく安全を選ぶはずです。でも、そのとき、今の電力を自然エネルギーでまかなえるのかということが必ず問われます。その答えは、正直わかりません。なぜなら、これまで、その取り組みさえしてこなかったのですから。これから、その開発に真剣に取り組んで、それでも、どうしてもダメだったら、そのとき、皆で考えて決めましょう、自分たちの未来を。やはり原発に頼るのか、はたまた、そのエネルギー状況にあった生活にシフトするのかを。

こうして、将来的な脱原発を国として決め、そこに向かうロードマップを描いたうえで、そうはいっても、今すぐ全原発停止ができないのであるとしたら、やむを得ず、必要悪として当面、原発に頼らざるを得ないのかもしれません。そのときのもう一つの課題が、今の電力会社に、原発の管理を任せられるかということです。
世界に誇る日本の原子力技術をもってすれば、ある程度の安全、ストレステストに適う施しはできるかもしれません。でも、問題はそれを扱う組織、そして人間にあります。隠蔽、保身、ことなかれを繰り返す電力会社、原子力推進ありきの国の体制とその利権に群がる団体という構造のもとでは、危険な原発の管理は任せられません。徹底した安全意識と責任感、そして仕組みを構築した上でなければ原発再開は認められないのです。
そのうえで気になるのは、現在、94%ほどの原発が止まっているにもかかわらず、とりあえずは電力がまかなえている状況をどう見るか。再開をするにしても、その数は限定されるはずです。でも、その電力需給状況予測さえも電力会社は開示していないと聞きます。まずは、そこから始めるべきです。

ただ、何より脱原発を求めるには、私たち自身の覚悟と実行が必要です。今のままの電力需要を原発なしでまかなうには、当面は火力に頼ることになります。当然、CO2の排出は増え、コストはかかります。
今こそ私たちも、便利を求める自身のライフスタイルを見直さなくてはなりません。電車が10分おきに来る必要があるでしょうか、ますます増え続けるコンビニのすべてが24時間営業でなければならないでしょうか。

時をさかのぼれば、太平洋戦争における広島・長崎の原爆投下、そして、今回の原発事故、日本は、世界の中で、原子力による災いを2回も被ることになってしまった唯一の国です。ならばこそ、世界の先駆けとなる対応と指針を示すことが、私たちに与えられた使命なのかもしれません。
「原発再開には地元の同意が必要」と国は言います。ただ、今回の事故の影響を鑑みれば、地元とは、もちろん、これまでの狭義の地元ではあり得ません。さらには、その周辺にまで広げた地域でもありません。地元とは、すなわち日本全体であり、日本国民としての答えを出すときなのです。

最後に、1日も早い復興がなされ、笑顔があふれる平穏で当たり前の幸せが訪れることを心より願い、私たちも行動していきたいと思います。

リラクオーレ
代表 篠原暢夫