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自分の中にあるものを思い出す旅

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旅に出ると新しい土地に行き新しい価値観に触れ新しい何かを発見したような気持ちになるが、
元々自分の中にあったものを改めて見つけるのであって、
それはあくまで自分の中にずっとあったものだ。
身近なものだと【これは好きだ・嫌いだ・心地よい・よくない】そういった自分の嗜好に気づくのもそうだ。
外の刺激はきっかけに過ぎない。

新しく見つけたと思ったものがあまりに衝撃的だと受け止めがたいことも多く、人はせっかく見つけたそれをまた徐々に忘れようとする。
普段どおりの生活に戻ろうとする、戻るために忘れるのだ。
ただ、何らかの感動は残して。
理性が総動員し、ホメオスタシスが強力に旅に出る前の自分に引き戻そうとする。

それは悪いことでも善いことでも何でもない。
ただ、普段の生活に戻りそれでも何かがずっと引っかかる感覚があるとするなら、そのあとどうするかは自分次第なのだ。

人は覚悟したとき行動が速い。少しの勇気がエンジンになる。
そして自分のありのままで覚悟に濁りがないとき、そこからシンクロニシティの波に乗る。
流れに乗る、喜怒哀楽や浮き沈みがあっても、
そのときはただ流れるように動いていく。
このとき、自分が自分から少し離れているような感覚になる。

こういう感覚の中にずっと居る人もいれば、
そういえばあのときそんな感じだったという人もたくさんいるはずなのだ。

この、自分の中にまだ発見されず埋もれているものはとても現実的ではなく、
目前の生活全てを破壊してしまいそうなくらいのものもある。
それらに気付いてしまったとき自分がどう生きたいかを考えざるをえなくなる。
誰のものとも比較せず、ただ自分と向き合うしかない。
人はそれぞれとても深く広い存在なのだ。だから旅は面白いものでもあるし、
恐ろしいものでもあるかもしれない。
【知らなければよかった】ことにも出会うかもしれない。

だからこそ、自分の普段の生活と全く異なる価値観の世界に行くことはより、大きなきっかけになる。
今はネットで情報がすぐに得られまるでそこに居るような感覚になることも簡単だけれど、肉体でその場所の空気に触れるまで分からないことが必ずある。
これもどちらが劣っている・優れているではない。

行きたいところが無いというなら誰かに会いに行くのも旅だ。
散々チャットで話をしてきたのに、会ってみたら全く違う何かを発見することもある。それは相手に対しても、自分に対しても。
それもないというのなら、ただ適当に思いつきでふらふらするのも旅だ。
無駄だ面倒だという思考を少し黙らせて、自分に会いにいく。

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コラムニストのプロフィール :

試行錯誤の後、自宅一室でタイマッサージと足圧マッサージをベースにしたセラピーを始めました。幼少期から人間関係に、また14歳のころから自律神経が不安定なことによる身体の絶えまぬ不調や摂食障害などにも悩み続けてきましたが、生菜食との出会いをきっかけに自分本来の生き方を追求し始めるように。人生は出会いの旅だと思って日々過ごしています。

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