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【信州移住体験談】「なによりも孫たちがとても喜んでいることがうれしいです。」という東京から青木村に移住したWさんご夫妻に聞きました。

公開: ( ※ 古い情報です ) / 文責:

「見てくださいよ、この桜。とってもきれいでしょう。お隣さんの木なんですけどね。でも、ウチもここへ来た時、記念樹として桜の木を植えたんですよ、ほら。」

今回、お話を伺ったのは東京から青木村へ移住されたWさんご夫婦。お二人とも東京の真ん中、中央区築地で数十年にわたって暮らしていた生粋の都会人です。

「ここは近くにお店もなく、夜も真っ暗ですけどね。東京に住んでいた頃は、真夜中でも灯りがギラギラしてましたよ。15分も歩けば必要な物は何でも手に入るような場所でした。」

そんな環境で多くの時間を過ごしてきたご夫妻が、住まいでもあったビルを売却して、2012年に豊かな自然に抱かれた山村、青木村へと住まいを移しました。

移住の動機 「退職後の生活を想像してみたんです」

お二人とも、真夜中でも眠らない街の中で育ち、暮らしを営んできました。そして、ご主人はホテルマン一筋40年弱というバリバリのビジネスマン。こちらに移住してくる前は、ほとんどの時間をホテルでの仕事に費やしていた "仕事の虫" だったそうです。

それゆえ、会社の仲間以外との友人というのもそれほど多くなく、仕事以外でやることといえば、聖路加ガーデンのジムに行ってトレーニングして、サウナに入ることや、週末は銀座の馬券場に遊びに行くというような生活をずっと続けていたのだとか。

そんな状況の中で「定年を迎えて、仕事がなくなったらどうなるんだろうか。」という思いから、ご夫婦はご主人が定年を迎える数年前から、退職後に住むための土地を、東京にも新幹線を使えばアクセスの良い上田市を中心に探し始めます。

奥様は生まれも東京都中央区。鉄筋コンクリートで出来た庭のない家で育ったという背景もあり、やはりこれからは自然が豊かな場所で暮らしたい、という想いを胸に、理想の場所を探すこと4年、ようやくこの青木村の土地に出会いました。

移住後の生活環境「長野県青木村での暮らし」

生まれてからこの青木村へ来るまで、東京都中央区から出て生活した経験のなかった奥様。

「最初の一年間くらいは少し不安もありましたけど、今では東京へ行くと『こんなに暮らしにくい場所だったかしら』なんて思うこともあって、用事を済ませるとすぐに家に帰りたくなってしまいます。そして帰ってくるとこの家は木の匂いがするんですよね。それが落ち着きます。」


愛犬のプリンちゃん

東京というコンクリートジャングルの真ん中で生活していたご夫妻は今、大自然の中で、自然素材の家( 設計施工はアトリエDEFさん )を建てて暮らし、冬の暖房には薪ストーブ、という木々に囲まれた生活をしています。

「この家は断熱が素晴らしいんですよ。真冬、外が氷点下15度なんて時でも、少し薪ストーブを炊けば家の中はポカポカです。薪ストーブは体の芯から暖まりますので、Tシャツ一枚でも大丈夫ですよ。犬もストーブの前がお気に入りです。」

とご主人。薪小屋にはたくさんの薪が積まれていました。薪割りも楽しんでおられるようです。
しっかり断熱された家は、外がどれだけ寒くてもしっかり暖まります。信州の冬は厳しいので、住まいを考える上で断熱性能の高さは重要なポイントと言えます。

でも、ご夫妻がこの家に住んで、何よりも嬉しかったこと。それは…

「孫たちがこの家をとても気に入って喜んでくれていることが何よりもうれしいですね。特にどこへ行くわけでもなく、この家や、家のまわりで遊ぶのが楽しいみたいで。
 東京にいた頃は、孫が来たらデパートに食事に出かけたり、家に遊びに来ても2〜3時間いて帰る、という感じでしたから、こちらに来てから初めて一緒に寝たり、お風呂に入ったりできました。
 孫たちがあまりにも喜んでくれたので『これはなんとかしなければ!』ということで、急遽孫たちのためにゲストハウスを増築したんですよ。」

塗料や接着剤の匂いのしない、ぬくもりのある木の薫る家と、美しい自然に囲まれた庭という環境は、普段都会で暮らしている子供たちにとって、最高のプレゼントなのかもしれませんね。

「家族だけでなく、近隣の方々との関わり方も大きく変わりました。東京では、ずっと暮らしていてもご近所の方との接点はほとんどありませんでしたが、今はアポ無しでみなさん遊びに来ますよ。
 今日も車で家から出たら近所のおじいちゃんが、ゆっくりと歩いているんですよ。『どこまでいくの?』と聞くと『同級会があって役場の方まで』というから『それじゃ日が暮れちゃうから乗ってきなよ』と車に乗せてしばらく行くと別のおじいちゃんが『オレも乗ってく』と、そんな感じですよ。東京では考えられなかったことです。」

ご近所の方々だけでなく、青木村での生活のスタートを支えたアトリエDEFのスタッフさんや大工さんとも、今でもとても親しくされているそうです。

「施工業者によっては、日によって大工さんが変わるようなこともあるようですが、最初から最後まで素晴らしい大工さんが面倒を見てくれて、とても安心して任せられましたよ。アトリエDEFさんに決めようと思ったキッカケも担当の方がとても素晴らしい方だったのが決め手でした。私は長いことホテルマンをやっていたもので、少しその人を見るだけで大体どんな人か分かってしまうんですよね。」

何事も選ぶときはそうですが、どんなに高機能だ、とか、デザインが素敵、とか、いろいろ比較する要素はあるわけですが、結局最後の決めては「人」なんですね。

東京で3.11を経験。「それはやはり大きなインパクトがありました。」

「あの地震が起こった時は、自宅のある東京のビルの6Fにいました。熱帯魚も飼っていたので、床中ビショビショになりましたよ。食器も冷蔵庫もテレビもみんな落ちてきました。

 でも、あれで初めて知りましたよ。あんなに福島の方々にご厄介になっていたなんて…、それまで知りませんでした。
 東京でも福島の方をたくさん受け入れて、東京の皆さんは被災された方々に対して親身になって足らないモノを差し出したり、色々なお手伝いをしたりしてましたが、そんなの当たり前だと思いました。あんなにお世話になっていたわけですから。福島の方に『こんなに電気使っていて東京の人は原発なしでやっていけるんですか?』って聞かれましたよ。街中24時間ずっとギラギラしているのが当たり前なんですからね。それに『東京は、一歩外にでるだけでお金が必要だから、住宅を無償で提供してもらっていても生活は大変です』とも言っていました。東京は居場所や時間さえも、お金で買わないと生きていけない場所なんですね。

 そして今、こちらで生活してみるとほんとにお金使わないんですよ。食料品くらい。といっても野菜は自分たちで畑もやっていますし、頂く機会もとても多いです。それで、月に1,2度東京へ行く機会があるんですが、その時はやっぱりたくさんお金使っちゃうんですよ。」

信州に限らず「田舎へ移住する」ということは「お金」というものについても、改めて考えるキッカケになるようです。

その他に、気になったことや気づいたことなど

「やはり人間関係は大事ですよ。臆病にならずに、気を使い過ぎない方がいいのかもしれないですね。どこで暮らすにしても、同じことが言えるのかもしれませんけど。でも東京の場合は、40年以上暮らしていたわけですけど、私がここへ引っ越したことなんてほとんどの人が知りませんよ。『最近、いつも犬を散歩してるあのおばちゃん見ないなぁ』くらいのものじゃないでしょうか。
 こっちはどこかで皆さん見てますからね。見えてしまうといいますか。でも、それに気を使いすぎても仕方ないわけですよ。何か頂くにしても断ることなく『頂きま~す!』と頂いて、そのうち何かのカタチでお返しできればいいや、というくらい気楽に考えれば良いのではないでしょうか。」

場所や環境によって人との関わり方のカタチは変わりますが、人と人の間にある関係性とともに存在しているのが人間の社会ですから、限りある時間の中で、楽しい関わり方をしていった方が、より多くの幸せな時間を過ごせるのではないでしょうか。